浄土思想9

浄土宗と浄土真宗の違いについて触れてみようと思いましたが、

このあたりは、ちょっと難しい領域でありまして、

言葉を選ばなければなりません。

浄土宗内でも、一念、多念と、念仏は一回でいいのか、

何回も繰り返し唱えるべきなのか。

という議論もありました。


親鸞聖人の和讃をいただくと、

師匠であり、人生の師であった浄土宗開祖

むしろ日本浄土教の開祖というべき、

法然聖人への心持がわかります。


(113)
粟散片州(ぞくさんへんしゅう)に誕生して    この現世界に生まれて
 念仏宗をひろめしむ              念仏の教えを広め
 衆生化度(しゅうじょうけど)のためにとて   教えを広めるために
 この土にたびたびきたらしむ          何度も生まれ変われれている

(114)
阿弥陀如来化してこそ              法然聖人は阿弥陀如来の化身である
 本師源空としめしけれ             法然師は  
 化縁すでにつきぬれば             現世のご縁が尽きたので
 浄土にかへりたまひにき            お浄土にお帰りになった。


親鸞聖人の法然聖人への敬愛の情を感じずるにいられません。

親鸞聖人は新しい宗派を興そうとするような思いはなく、

亡き師の教えをひとりでも多くの方々に広めていこうと、

そうした思いしかなかったのだと思います。


私は学者ではありません。

そうした想いを有難くいただけばよいのではないかと、

考えるばかりです。


次回は、安心決定抄の一節を上げながら、

自力と他力について考えたいと思います。